木原均博士と生命科学

木原均博士

木原均博士は、20世紀における高等植物の遺伝・進化学の分野で、数々の業績を残しました。特に「生物をその生物たらしめるのに必須な最小限の染色体セット」と定義したゲノムの概念の確立、パンコムギの祖先の発見、スイバによる高等植物の性染色体の発見、倍数性を利用したタネナシスイカの作出は、世界的な研究成果として知られています。

細胞遺伝学をはじめとしたさまざまな分野で多くの後継者を育て、海外での植物探索行を重ねて日本のフィールド科学の道をひらきました。


おもな研究業績

  • パンコムギの一祖先たるタルホコムギの発見
  • コムギ近縁種の複二倍体の合成
  • 四倍性ダイコンの育成
  • 種なしスイカの作出
  • 三倍性テンサイの作出
  • 合成コムギABD系統の作出
  • 細胞質雄性不稔の発見
  • カラコルム、ヒンズークシ学術探検
  • スイカ相互転座の研究
  • オオムギ突然変異育種
  • イネの系統進化の研究
  • 雑種コムギの基礎的研究
  • 植物界における左右性の研究
  • 箱根における植物相の史的変遷の研究
  • 高等植物の雄性不稔の基礎研究
  • コムギの核・細胞質雑種の研究
  • コムギ矮性遺伝子の研究

略歴

1893年(明治26年) 10月21日 東京に生まれる
1918年(大正7年) 北海道帝国大学農学科
(生物学)卒業
1920年(大正9年) 京都帝国大学理学部助手
1924年(大正13年) 京都帝国大学農学部
実験遺伝学講座創設に際し助教授
(日本ではじめて
遺伝学と名のついた講座)
1927年(昭和2年) 京都帝国大学農学部
実験遺伝学講座教授
1940年(昭和15年) 第1回日本遺伝学賞
1942年(昭和17年) 財団法人木原生物学研究所
創設理事長
1943年(昭和18年) 帝国学士院恩賜賞、
野間学術賞
1944年(昭和19年) 日本遺伝学会長
1948年(昭和23年) 文化勲章
1952年(昭和27年) 米国園芸学会賞
「三倍性西瓜の研究」
1956年(昭和31年) 国立遺伝学研究所長
1969年(昭和44年) 国立遺伝学研究所長退官
1975年(昭和50年) 勲一等旭日大綬章
1985年(昭和60年) 財団法人木原記念
横浜生命科学振興財団
創設名誉顧問
1986年(昭和61年) 逝去(享年92)

木原均博士のことば

木原均博士のことば

地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に記されてある。
(1946年)


生命科学の一定義は、「生命科学は生命に関するすべての分野を総動員して人類生存の活路を見出そうとする総合学術である」としています。生命科学の役割はたくさんありますが、とりわけ人口の爆発的増加、資源の枯渇、環境汚染等の対策には、全人類規模で当たらなければなりません。地球は人間だけのものではなく、全ての生物がここで生を営んでいるのです。他の生物なしでは人間は生きることができません。このままなりゆきまかせで行くならば、いつかは自滅することでしょう。医師が人類の病気を予防したり治療するように、生命科学は地球の医師となって働いてほしいものです。

(1976年9月14日 北海道大学創基百周年記念)


研究の道には案内者、
又は地図無きものと心得るべし
生物学を産業の礎たらしむべく一層努力すること
変に応じ処置を施せ、一つ覚えは禁物
(「研究五則」「研究班五綱領」
「圃場勤労諸君に」より抜粋)


木原記念室

横浜市立大学木原生物学研究所には、木原均博士の足跡を示す資料や記念品を展示する木原記念室があります。一般公開しており、功績の普及に務めるとともに、身近な自然や科学に目を向けることの楽しさを伝えています。

(外部サイト)